ふと思い出す浅草

昭和二十八年 夏。
わたくしは浅草に行くと必ずロック座の前を通り、花やしき*1に向かう。そそくさと入場券を購入すると、それ真っ先に駆け出し、当時設置されて間もないローラーコースターへと向かう。他の遊園地(荒川遊園、多摩川園、豊島園)のそれと違うのは、民家の窓際*2ぎりぎりのところを猛スピードで通り抜けるような仕掛けがあるところだろう。もうそれは怖い怖い。
豆汽車、馬車、メリーゴーランド、紙芝居で遊んだら、花やしきを出て、スマートボールへ。これはパチンコとよく似ているのだが、筐体は垂直ではなくほぼ水平で、玉はパチンコ玉の10倍以上大きい物を使用する。このため、玉の勢いはそれほどなく、ゴロ〜ン・・・ゴロゴロとゆっくりと転がる。ひとしきり、遊んでいるとだんだん玉がたまり始める。これをどうするかと言うと、ニッキ水や風船などの景品と交換できるのである。
夕暮れが近くなると仲見世で、ニッキ水を飲み、下駄をカタカタさせながら帰るのであった。(一部嘘)

*1:花屋敷(当時は漢字)は、嘉永6年(1853年)、倫王寺の宮様という方から、二万千坪もの土地を給われた森田六三郎という千駄木で活動していた植木屋によって造られた。植物園として誕生した当時は、茶人、俳人などの交流の場になったり、お見合いの席にもなった。大奥の女中などは、花屋敷での休憩ならお構いなしとされ、普段口にできなかった御団子などを、花屋敷でのみ楽しめた。

*2:本当は、ローラーコースターのレール上に民家セットが設置されたのは平成六年である。